ひとときの駿感.blog

☆美味しい食事やCafeのお店。映画や音楽。季節の表情からポツリと心象まで☆

【映画鑑賞】この夏の星を見る

『この夏の星を見る』
鑑賞日時:7/6(日)8:25〜
鑑賞映画館:新宿バルト9

 青春には人生でたった一時期しか持つことができない有り余る熱量というものがある。しかし青少年たちの躍動は無念にもコロナ禍による社会的な制約に塞がれてしまった。学校行事、放課後、部活、修学旅行、数え上げればキリがない。

 そのコロナ禍で青春を奪われた中高生たちがオンラインで繋がり、「スターキャッチコンテスト」と名づけられて、全国各地で同時に天体観測を実施する。茨城1組が主催、長崎・五島市1組、東京2組が参加した。実在のモデルがあるようだ。桜田ひより主演の青春群像劇。私の好きな作品ジャンル。

 主催者である高校の天文部顧問から指定された星の名前を告げられると、待ち構えていた望遠鏡がすかさず星が位置する方角にグッと傾けられる。さらに観測者はファインダー越しに真剣な眼差しで位置を決めた瞬間「ロック!」と声をかけ、星のハッキリとした輪郭の捕獲に成功する(導入)。この映像的な身体性が表現されたシーンを見ただけでも大変爽快なのだ。

 天体を観測するということは、天を仰ぎ見ること。究極に前向きな精神の表現がそこにある。あらゆる艱難の乗り越えを確信させてくれる神の実在を確認することに他ならないと思ってしまうわけである。

 桜田ひよりと黒川想矢に目が離せなかったのは言わずもがなだけど、私は早瀬憩の号泣場面に、格段に深みのある表情をみせる役者なのだと、一番印象に残った。

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【映画鑑賞】夏の砂の上

『夏の砂の上』

鑑賞日時:7/5(土)8:35〜

鑑賞映画館:TOHOシネマズ日本橋

【ネタバレ少々御免】

陽炎が立ち込める極暑の夏。

坂の多い長崎の街。

 無職の小浦治(オダギリジョー)は無精髭をたくわえ、ともすれば見窄らしさも甚だしい風貌で、日課となっているタバコ屋に立ち寄りながらぶらぶらしている。

 ただならぬ人生の機微を纏った独特の雰囲気を醸すオダギリジョーの演技が素晴らしい。『マンチェスター・バイ・ザ・シー』のケイシー・アフレックを想起した。

 治の妹・川上阿佐子(満島ひかり)の娘・優子(髙石あかり)。不本意にも治はこの17歳の少女を一時預かることになってしまった。社会性に未熟な優子との同居生活が始まる。

 長崎独特の舞台としての叙情性を通奏低音とすることで作品世界は一定の格調を保ってはいる。しかし豪華キャストを揃えたことで若干主題がぼやけた感じがあるのは否めない。

 叔父と姪っ子の心情の交換。これを主題としてもっと強く振り切っていたら、優子が恵子(松たか子)に言い放った『私が叔父さんの面倒をみる!』の台詞が単に一時的な感情から言ってみたまでとはわかっていても、その感情の勢いがより切実に誠実さが表現されて観客の心情に余韻を残したのではないか?なんだか唐突な感じを受けてしまった。

 ではどうすれば良かったか?クライマックスでの"恵みの雨"ではまだ"日常"の出来事に留まってしまうだろう。これを"非日常"に近いレベルまでに引き上げるような場面を作り出すことはできなかったか?非日常の共有によって二人の心情の交換に深みを与える。

 たとえば『でっちあげ〜殺人教師と呼ばれた男』で綾野剛亀梨和也の対峙シーンが、嵐のような凄まじい豪雨(本物の豪雨)の中だったわけだけど、相米慎二の『台風クラブ』を持ち出すまでもなく、オダギリジョーと髙石あかりとの雨中のシーンでも、もっとド派手な豪雨を降らせることはできなかったであろうか?近年頻繁に発生するゲリラ豪雨とやらの方が現実に近いはずだ。カタルシス(浄化)には戦慄が走るくらいの鬱積の解放が必要である。

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【上野御徒町】BLUE LEAF CAFE

『BLUE LEAF CAFE』(上野)
日時:7/2(水)17:30
抹茶フレンチトースト

 銀座線の上野御徒町駅から中央通りを上野動物園方面へ歩いて2、3分。サイゼリヤを過ぎたあたりでauショップの1階のカフェスペースが『BLUE LEAF CAFE』だ。店内はなかなかゆったりとした雰囲気の空間が広がっている。穴場だ。

 パフェなどの種類も多く、食事もできるようだ。選ぶメニューはフレンチトーストと決めていたけど、プレーンか抹茶か迷って抹茶を選んだ。フレンチトーストと抹茶テイストの組み合わせは初めて。どんなものか?

 熱々鉄板に乗せられたフレンチトーストに抹茶アイスとホイップクリーム。さらに小豆も添えられている。抹茶アイスは濃厚で美味しい。フレンチトーストもふわとろ卵とバターが染み込んでいる。

 これは本気のフレンチトーストである。もちろん組み合わせとしての相乗効果とかはなく、抹茶は抹茶でフレンチトーストはフレンチトーストを楽しむもの。つまり夕飯前の午後のデザートということになる。

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【映画鑑賞】でっちあげ〜殺人教師と呼ばれた男

『でっちあげ~殺人教師と呼ばれた男』
鑑賞日時:6/29(日)8:25~
鑑賞映画館:TOHOシネマズ新宿

  他にも優先的に鑑賞したい作品がいくつかあるはずなのにも関わらず、綾野剛の演技の奇怪ぶりだけを目撃したいといった衝動的な思いつきで前日の夜遅くに急遽シネコンのオンライン予約チケットを購入したりする。

 その奇怪ぶりというのは例えば『うさぎドロップ』(2011)で芦田愛菜の背後から又吉よろしく長髪姿で薄気味悪い視線を送るキョウイチだったり、『リップヴァンウィンクルの花嫁』(2016)ではスーツ姿でいかにも胡散臭い雰囲気を漂わせて黒木華に接近する安室だったりと数え上げればキリがない。

 綾野剛の演技のうまさの突出さというのはキョウイチだったり安室だったり、なんなら『カラオケ行こ!』(2024)のクールなヤクザの風貌とは対照的にXJAPANの『紅』を裏声で絶叫のごとく歌う狂児のように、綾野剛綾野剛でなくなってしまうくらいのその役への没入と変貌ぶりを堪能させてくれる変幻自在性なのである。

 小学校教諭の薮下誠一(綾野剛)は、氷室律子(柴咲コウ)から息子への体罰を告発される。実名報道されたあげく誹謗中傷から停職と社会的抹殺に追い込まれ、日常生活が崩壊してしまった誠一。思いもよらない民事訴訟という最悪の展開の中、ついに誠一は法廷で完全否認を主張する。

 しかし実際作品を観て驚いたのは、氷室律子主観の供述で再現される児童への虐めの様子を描いた綾野剛の演技もさることながら、それ以上に法廷場面での柴咲コウ演ずる氷室律子の無表情で瞬きひとつしない強烈なサイコパスぶり。育ちの過程での人格の傷つきぶりは相当なものだったのではないだろうか。今回の柴咲コウの奇怪さは綾野剛の本領を凌駕するものであったと思う。

 綾野剛柴咲コウの稀にみる怪演合戦の緊張の中、小林薫の穏やかな老弁護士役の好演に癒される。事実にもとづいたルポルタージュを原作とする『でっちあげ~殺人教師と呼ばれた男』は三池崇史監督社会派作品を楽しむ以上に、終始戦慄に襲われるホラー感を体験できる上質なエンタメ作品なのである。

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【映画鑑賞】ルノワール

ルノワール

鑑賞日時:6/21(土)21:50〜

鑑賞映画館:新宿ピカデリー

【少々ネタバレ】

 まことに"映画的"な映画作品。久しぶりに出会ったような嬉しさ。そこには物語りを優先としない映像の断片を連続させた、印象に残る表現が随所に散りばめられている。

 もちろん"わかる"とか"理解する"とかの言語化を求めることは陳腐で、表現者からの非言語化(イメージ)されたメッセージを感覚で受け取る快楽を満喫できる。

 11歳の小学生で好奇心旺盛なフキ(鈴木唯)は日常生活で体感している自らの生命活動の中で「どうしたら生きたまま死を体験できるのか?」という、いかにも言語化に乏しく、想像で生きている子供が思いつきそうな欲望を強く持っている。

 その死を体験したいという願いを今にも叶えてくれそうなのが、テレパシーごっこでうまく同期が成功していた余命いくばくもない父親・圭司(リリー・フランキー)だったということだと思う。

 豪雨の橋の上でうずくまるフキを抱え上げておんぶしたまま帰り、フキの濡れた髪をバスタオルで拭いてあげる圭司。しかし圭司は既に逝っているはず。そこにはフキの生きたままの死の体験があるのだ。

私にはとても心に刺さった。

好きな作品になった。

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【映画鑑賞】ドールハウス

ドールハウス

鑑賞日時:6/19(木)18:35〜

鑑賞映画館:TOHOシネマズ新宿

【ネタバレ御免】

 誰もが「ふーん、そうだね。知ってる。」と軽くスルーしてしまうところに古典的でありきたりだけど、やはり怖さの核心なので今のうちに強調しておきたい。

 それは単純だけど、人形と芽衣の髪型が同じだったこと。閑却視されてしまうところに焦点を定めると瑣末な疑問もすぐに解消されたりするのだ。

 なぜ佳恵(長澤まさみ)はドールセラピーがうまくいっているように見えたのか?

 もちろんそれは人形を芽衣の身代わりとして心底可愛がっていたからだ。佳恵にとって人形は、ずっと芽衣そのものだったはずである。

 一方でオカルト要素のところ。場面は佳恵を一泊入院(退避)させて、人形の出自や正体を佳恵ではなく忠彦(瀬戸康史)に調べさせる巧みなストーリーが生きている。

つまりここで

 人形=芽衣

 人形=礼

が成り立つ。

 人形は芽衣であって同時に礼なのだ。二人揃って「私を忘れるな!」。洗濯機を買い替えたって意味がない。

 芽衣=愛情

 礼=怨念

 まさにひとつの人形の中に愛情と怨念が鬩ぎ合う、人間の本質をあらわしている。設定に厚みを感じるのだ。ここにドールミステリーの肝がある。

 これでは神も仏もかなわない。神田(田中哲司)の判断ミスもやむ得ない。事は複雑なのである。

 救いのないラストシーンも当然である。夫婦二人の笑顔は"今ここに芽衣が居る"表情である。実際、今ここに芽衣(人形)が居るではないか。

…思わず戦慄が走った。

 実はけっこう倫理的にきわどい作品だったりする。もちろん続きなどはない。

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【映画鑑賞】リライト

『リライト』

鑑賞日時:6/14(土)18:45〜

鑑賞映画館:TOHOシネマズ新宿

 原田知世が主演を演じた大林宣彦監督作品の1983年実写版『時をかける少女』のあるシーンにおいてタイムリープは可能ではあるけれど、タイムパラドックスには陥らないように巧妙に設定されている。つまり原田知世版ではあらかじめ過去の出来事をリライトできないようになっている。

//////////ここからネタバレ御免//////////

 しかしこの『リライト』は違う。『時をかける少女』そのものをリライトしているのだ。

 もちろん死の運命は仲里依紗実写版『時をかける少女』がそうであるように絶対に書き換えられない。ここは守られている。

 保彦(阿達慶)が陥ったタイムリープのバグは今作品と同じ上田誠氏脚本『リバー、流れないでよ』(2023年)のタイムループを想起させる。『リライト』では時間的なバグだけでなく、さらに空間的なバグまで拡張的に発生させていて茂(倉悠貴)のドタバタの奔走姿が面白い。

 原田知世実写版の『時をかける少女』では過去にリープした自分と過去の自分とは同じ空間に同時に存在することはできない。

 しかし『リライト』は過去と未来の自分を同じ空間に実在として会わせることで時空間の存在の謎を観客に想像の楽しさを増幅させているのがすばらしい。

 美幸(池田エライザ)と友恵(橋本愛)が交換した美幸作オリジナルの小説本とそれがリライトされた小説本。友恵は過去から来た自分にオリジナル本を渡したが、美幸はリライトされた本の表紙までを見せただけだった。

 ここに二人の、良心を残した"リライト不可"の意志を覗かせてくれたと感じとったけれどどうだったか?余韻が尽きない傑作。

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