ひとときの駿感.blog

☆美味しい食事やCafeのお店。映画や音楽。季節の表情からポツリと心象まで☆

【渋谷】とをみつ

『とをみつ』(渋谷)

8/14(木)11:30

アジフライ定食1250円

 

 この日はユーロスペースで映画鑑賞。上映開始まで1時間ある。ならば腹ごしらえしようと道玄坂からBunkamura通りにある『とをみつ』を訪れた。おばんざいバーとしてのコンセプトが特徴らしく、なるほど注文して出されたアジフライ定食は小皿が映える逸品。アジフライ2つがたっぷりとタルタルソースに覆われている。さらに具沢山の豚汁(ほんとうに具沢山!)、数々の小皿。なによりもご飯が美味しい。

 

 オープンキッチンで調理している威勢のいい金髪に染めた若い女性(日本人)の両腕いっぱいに彫られたタトゥーが和定食との激しいギャップを醸し出す。その存在感がなんとも渋谷の街に馴染んでいる。たいへん美味しい定食をいただいた。

f:id:hideki_S:20250816013250j:imagef:id:hideki_S:20250816013258j:image

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村

映画評論・レビューランキング
映画評論・レビューランキング

【渋谷】NIGIHAYAHI TEA

『NIGIHAYAHI TEA』

8/14(木)15:00

 奥渋。奥渋谷という。渋谷駅から神泉を超えて神山町、さらに富ヶ谷まで広がっている。静かな商店街。しかし富ヶ谷方面から来た私にとっては奥渋谷というよりはフロント渋谷となる。なにが最高って渋谷駅前をファミリーで闊歩し占拠している鈍臭い外国人観光客たちが非常に少ないことである。歩いていてホッと安心する。この奥渋で最近カフェがオープンしたようだ。『NIGIHAYAHI TEA』。饒速日ニギハヤヒ。店名だけで気に入ってしまい、すかさず入り口の扉を開ける。

 

「コーヒーはないんですね?」

 

 そうなのだ。お茶(TEA)に特化したお店。ならばほうじ茶、ウーロン茶…待てよ。目に入ったメニュー『夏だねサマーモヒートティーソーダ』830円を注文。モヒート?カクテル?いやお酒は入っていない。店長さんの説明によるとカクテルの『モヒート』をラム酒の代わりにウーロン茶で仕上げた爽やかティーとのこと。ライムとミントの柑橘とハーブの清涼感。すごく美味い!びっくり!ウーロン茶でも緑茶のような濃さを感じた。店長さんから感想を聞かれて、再訪を約束した。店を出て富ヶ谷方面まで歩く。渋谷駅前は行きたくない。しばらく奥渋を楽しもう。

f:id:hideki_S:20250815105356j:image

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村

映画評論・レビューランキング
映画評論・レビューランキング

【映画鑑賞】近畿地方のある場所について

近畿地方のある場所について』

鑑賞日時:8/8(金)8:00〜

鑑賞映画館:新宿ピカデリー

 【ネタバレ御免】

 あるオカルト雑誌の編集者が行方不明になってしまった。同僚の編集者・小沢悠生(赤楚衛二)と女性記者・瀬野千紘(菅野美穂)は失踪した編集者が残した膨大な映像資料を調べていくうちに近畿地方のある場所に繋がっていくことを知り、やがて驚愕する事実と向き合ってしまうことになる。

 先に原作単行本を読んでしまっていたために改変されたラストに向かう一直線的展開への違和感が発生。白石晃士ワールドの許容程度を問われる。原作単行本の一種独特な"何か得たいのしれない不可視なもの"を各エピソードのリアリティを伴った具体例の表現から炙り出していこうとする地平を、白石晃士監督はCGを駆使して形あるものを鮮明に登場させて、こともあろうかバトル色を打ち出すような演出に向かってしまった。あまりにも確信犯的である。

 しかしそうは言ってもだ。前半〜中盤までの原作にわりと忠実な映像資料の数々の謎解きシーンのミステリアスな装飾の緻密さと臨場感たっぷりのサスペンス色は『ノロイ』『カルト』『サユリ』『オカルト』を創り上げた白石監督でなければ表現できないことは一目瞭然。やっぱり『近畿地方のある場所について』は白石晃士監督が取らねばならない作品なのだ。

 そして『富江』(1999年)の瑞々しい若さを湛えた美貌と不気味さの衝撃が懐かしい菅野美穂。なるほど鑑賞するまでのなぜ菅野美穂?と持ち続けていた疑念が、後半繰り出しまくるホラー演技の憑依が全開で、とくに祠破壊の身振りが凄まじくて、きれいサッパリ解消された。いったい近畿地方のある場所とはどこだったの?なんてのはもうどうでも良くなってしまう。ただただ菅野美穂から目が離せなくなるのである。

f:id:hideki_S:20250812050229j:image

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村

映画評論・レビューランキング
映画評論・レビューランキング

【映画鑑賞】長崎 -閃光の影で-

『長崎 -閃光の影で-』

鑑賞日時:8/3(日)8:25〜

鑑賞映画館:TOHOシネマズ新宿

 

【ネタバレ御免】

 1945年の長崎。大阪空襲のため休校となり、帰郷していた看護学生の少女たち。田中スミ(菊池日菜子)と大野アツ子(小野花梨)と岩永ミサヲ(川床明日香)の3人は8月9日の原爆投下によって廃墟になった街で負傷者の救護活動に奔走する。

 当時の看護師(婦)たちが自らの救護体験を手記に残してこれを原案に制作された経緯があるようだ。なるほど作品全体の流れになんとなく箇条書きのような印象があるのは手記のエピソードを盛り込むのに取捨選択の熟考があって、作り手側からのメッセージを80年経った今に克明に伝えるために100分で表現するには大変な迷走や労苦があったように感じた。何を表現して何を表現しないか?決めるまでには制作陣の中で大変な葛藤があったのではと推察する。

 そんな物語の散漫さを打ち消すような熱演を感じさせてくれた看護学生役3人が良かった。特に小野花梨の繊細な内面描写を伴った表情演技はいつものように安定している。さらに黒木和雄監督の名作で長崎の原爆投下24時間前の家族の日常を描いた『TOMORROW明日』に花嫁として出演していた南果歩が、今度は孤児院で奉仕活動をしている女性として出演し、その孤児を抱く姿のショットがとても眩しい。

 この作品で瞠目したシーンがひとつある。3人がリアカーで物質を運んでいる最中にアツ子とミサヲが言い合いをしてしまう場面だ。アツ子が原爆を落としたアメリカへの猛烈な憎しみの言葉を吐露する。しかしカトリック信者のミサヲはアツ子の言葉に耳を傾けながらも、こともあろうか"赦し"の信仰を説くように呟いてしまうのだ。間違いなくカトリックにある『汝、隣人を愛せよ』の精神である。ヒステリックに反論するアツ子の態度は当然だ。アツ子は廃墟と化した自宅跡で家族を捜すが、残酷にも母親の黒焦げと化した姿を目撃し、さらに息絶える妹を涙ながらに手を添えて見つめることしかできなかった。そんなアツ子が自分の家族を殺したアメリカを赦すことがどうしてできよう?ここのシーンは同じ長崎を舞台としたマーティン・スコセッシ監督作品『沈黙-サイレンス-』に一貫して流れている雰囲気である。

 原爆を落とされた長崎と広島の2つの都市にはそれぞれの被爆反核運動に対する姿勢(信念)というものがある。『怒りの広島』と『祈りの長崎』というフレーズだ。『祈りの長崎』とはまさにカトリックの街と言われる長崎特有の歴史を象徴している。具体的には旧浦上天主堂の存在であり永井隆の生き様である。

 そうなると肝はミサヲの存在証明を表現することで被爆都市長崎であることの唯一無二性に光があたる。そして3人の中でただ一人亡くなってしまったのもミサヲなのである。ただただ意味深だ。惜しむらくは原爆投下後の惨状を目の当たりにしているミサヲに対して、信仰心さえも揺らぐような葛藤場面の演出があっても良かったのではないか?父役の萩原聖人にも役不足(実力不相応に軽い)の印象を感じた。

 とは言え、戦時下での日本人の加害意識(朝鮮人差別や日本国軍人の蛮行)の描写もサラッとではあるものの(『この世界の片隅に』の表現は秀逸!)きっちり盛り込まれていることは称賛に値する。

一最後に一

 原子爆弾は広島にはウラン235、長崎にはプルトニウムが落とされた。私は米国が日本に原爆投下した理由は人種差別であり、さらには人体実験だったことを疑わない。戦争を早く終わらせるためだという理由は当時の戦局からは説得力に乏しい。クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』に漂う雰囲気の匂いはまさに人種差別だ。ノーラン監督だってわかってて、あのようなビビった表現しかできなかったのだ。英国人のノーラン監督でさえも…だ。なんならこうも言いたい。なぜ長崎なのか?エスタブリッシュメントプロテスタント信者が多くを占める米国はカトリック殲滅の意味を込めて長崎を選んだのではないか?投下都市予定は当初小倉だったのだが、飛行の際の視界が悪くて急遽変更したと言われているが本当だろうか?こう疑ってしまう理由はまさにこの21世紀現在の危うさを増す世界情勢がある。イスラエルのガザへのジェノサイドとも言える振る舞い、トランプ政権を支えている福音派の暗躍。今のこの絶望的な紛争が続けられている中だからこそ、私のような歴史の素人でも陰謀論と言われていることが実は紛れもない真実なのでは?と覚醒の手ごたえを実感してしまうのである。この映画作品に当時の価値観で見ることと同じくらいに、今も変わらず進行している危機があるのだという視点を持ち込むのはとても大事なことなのだ。

f:id:hideki_S:20250807101649j:image

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村

映画評論・レビューランキング
映画評論・レビューランキング

【映画鑑賞】ストレンジ・ダーリン

『ストレンジ・ダーリン』
鑑賞日時:7/24(木)12:40〜
鑑賞映画館:新宿バルト9

 森の鬱蒼とした茂みの中から鮮やかな赤色のスクラブを着たウィラ・フィッツジェラルドが悲壮感を漂わせて逃走する。銃を携えたカイル・ガルナーが執拗に女を追いかける。男はシリアルキラー?ならば女は何者なのか。

 『ストレンジ・ダーリン』はシリアルキラーのスリラーものとされながらも鑑賞後感としては娯楽性が強く、個人的になかなか興味深い作品だった。その娯楽性というのは、全6章の構成にしつつも、時系列に沿った筋立ての表現にあえて逆らって3章目から始めることでもなく、35mm撮影で原色使いを程よく駆使し奇抜なアングルと音楽のスタイリッシュな映像表現でもない。

 映画作品を観て、騙されたいと願っていた観客が積極的に映画館へ足を運び、願い通りに騙された!と呟き、同様にミスリードされたいと願う観客が予想通りにミスリードされた気分に陶酔できる特権的な娯楽性なのである。

 たとえば暇な人間がたまたま映画館の前を通り「ふだんほとんど観ないけど、今日は暇だから映画でも観ようか」と思いつき、時間帯でこれからすぐに観られそうな映画作品が『ストレンジ・ダーリン』だったならば「なんだこれは?」となるかもしれない。

 しかし少なくともこの作品の予告編をあらかじめ見ていた観客は本気で騙されることもミスリードされることもありえない。予想通りに「予想が裏切られる」だけなのだ。映画館の観客が騙されることへのひたむきな希求に没入感を味わせてくれる映画作品特有のエンターテイメントなのである。これから観に行く映画好きは必ず騙されなくてはならない。

f:id:hideki_S:20250802065820j:image

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村

映画評論・レビューランキング
映画評論・レビューランキング

【映画鑑賞】IMMACULATE聖なる胎動

『IMMACULATE聖なる胎動』

鑑賞日時:7/26(土)18:40〜

鑑賞映画館:ヒューマントラストシネマ渋谷

 冒頭のシーン。若いシスターが闇夜に修道院から脱出を図るも門外へ出たと思いきや脚を掴まれ院内に連れ戻されてしまう。棺桶なのか?土で固められたような閉所に仰向けで密封される。あの阿鼻叫喚の描写の恐怖はあたかも観客の私自身が今この瞬間に閉じ込められている臨場を体験しているような感覚に陥ってしまった。けっこう長かったからか。背筋が凍るような思いが続いて大変苦しかった。

 しかしやがて、入国審査で開けられたキャリーケースの中にイタリア語入門の本が映り、言葉の通じないイタリア人の入国警備員達相手にしどろもどろする尼僧姿のシドニー・スウィーニーを目撃して私達は格別にホッとするのである…が、それもつかの間。

 『恋するプリテンダー』の小生意気だけど可憐なビーの余韻を感情に同期できたのはここまでである。

 なるほど…すべては神が計画(黙示録)されていたことなのである。天地創造、マリアの処女懐胎、キリストの磔刑と復活、産業革命、科学技術、遺伝子操作、クローン技術…

 しかしシドニー・スウィーニーは終末論の思想に侵された修道院の所業に見事ノーを突きつけた。驚異的な力業なのである。しかも現実世界にこれから起こることへの先取りのような気もする。

 後半のスプラッター描写の嵐には苦手なこともあって疲れてしまったけど、この作品が随所にみせる『呪いの館』などのイタリアンホラーやダン・ブラウンの小説を映画化した一連の作品、さらに『オーメン』や『ローズマリーの赤ちゃん』までも参照し尽くしてリスペクトに溢れていることが素晴らしい。

 あと付け加えたいこと。パンフレットを読んでも明らかなように、これら映像表現すべてはシドニー・スウィーニーの趣向が完璧に反映されたとしか思えない仕上がりなのである。

f:id:hideki_S:20250729134448j:image

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村

映画評論・レビューランキング
映画評論・レビューランキング

【映画鑑賞】アデュー・フィリピーヌ

アデュー・フィリピーヌ』(1962年)
鑑賞日時:7/13(日)17:45~
鑑賞映画館:ユーロスペース(渋谷)

【ネタばれ少々】
 今まで時折ユーロスペースで繰り返し上映されてきたものの、一日に一回だったり期間が短かったりと機会を逃していたが、今日ようやく鑑賞を果たした。フランス映画史上でも指折りの傑作とも言われている名作で、そのとおり確かに110分があっというまの満足感しかなかったような鑑賞の手ごたえ。アニエス・ヴァルダとも、ゴダールともシャブロルとも違う、今この瞬間にそこで何かふつうに奇跡が起こっているようなショットの連続を見せられている不思議な感覚。ほとんど物語そっちのけで表現された過剰さがすばらしい。

 それは例えば一つ。仲良し小娘二人。夜に同じベッドで寝ようとしているリリアーヌとジュリエットはこんな遊びを思いつく。朝に目が覚めた時、どちらかが先に「おはよう!フィリピーヌ」と言った方がミシェルとデートできる!とルールを決めたときに、実際翌朝先に目が覚めたジュリエットが約束のセリフを言った瞬間、まったく同時にリリアーヌが「おはよう!フィリピーヌ」と声を出す。この二人そろっての「おはよう!フィリピーヌ!」の声が重なる瞬間は奇跡でしかないのではないか?と思うくらいの驚愕するタイミングなのである。二度と撮ることができないような見事な一回性の場面なのだ。

 そのほかリリアーヌとジュリエットがパリの街角を話しながら歩くシーンの爽快さやミシェルの家族の食事シーンの会話の流れやラストのミシェルの船出を手を振りながら見送るリリアーヌとジュリエットの姿などは、とにかく映像として生々と溢れてくる楽観性が大変刺激的だ。さらに歌やダンスシーンを通してリリアーヌとジュリエットの性格描写が深まっていくのが驚くほどに観客の心象にインパクトを与えるのである。

f:id:hideki_S:20250713230312j:image

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村

映画評論・レビューランキング
映画評論・レビューランキング