『夏の砂の上』
鑑賞日時:7/5(土)8:35〜
鑑賞映画館:TOHOシネマズ日本橋
【ネタバレ少々御免】
陽炎が立ち込める極暑の夏。
坂の多い長崎の街。
無職の小浦治(オダギリジョー)は無精髭をたくわえ、ともすれば見窄らしさも甚だしい風貌で、日課となっているタバコ屋に立ち寄りながらぶらぶらしている。
ただならぬ人生の機微を纏った独特の雰囲気を醸すオダギリジョーの演技が素晴らしい。『マンチェスター・バイ・ザ・シー』のケイシー・アフレックを想起した。
治の妹・川上阿佐子(満島ひかり)の娘・優子(髙石あかり)。不本意にも治はこの17歳の少女を一時預かることになってしまった。社会性に未熟な優子との同居生活が始まる。
長崎独特の舞台としての叙情性を通奏低音とすることで作品世界は一定の格調を保ってはいる。しかし豪華キャストを揃えたことで若干主題がぼやけた感じがあるのは否めない。
叔父と姪っ子の心情の交換。これを主題としてもっと強く振り切っていたら、優子が恵子(松たか子)に言い放った『私が叔父さんの面倒をみる!』の台詞が単に一時的な感情から言ってみたまでとはわかっていても、その感情の勢いがより切実に誠実さが表現されて観客の心情に余韻を残したのではないか?なんだか唐突な感じを受けてしまった。
ではどうすれば良かったか?クライマックスでの"恵みの雨"ではまだ"日常"の出来事に留まってしまうだろう。これを"非日常"に近いレベルまでに引き上げるような場面を作り出すことはできなかったか?非日常の共有によって二人の心情の交換に深みを与える。
たとえば『でっちあげ〜殺人教師と呼ばれた男』で綾野剛と亀梨和也の対峙シーンが、嵐のような凄まじい豪雨(本物の豪雨)の中だったわけだけど、相米慎二の『台風クラブ』を持ち出すまでもなく、オダギリジョーと髙石あかりとの雨中のシーンでも、もっとド派手な豪雨を降らせることはできなかったであろうか?近年頻繁に発生するゲリラ豪雨とやらの方が現実に近いはずだ。カタルシス(浄化)には戦慄が走るくらいの鬱積の解放が必要である。
